心身は食で成る レッイビー新聞

第86号

平成27年6月福島
応援特集

名古屋市瑞穂区
高田町4-15

有限会社レッイビー

☎052―852-3144

震災・原発事故から5年、被災地の介護応援に出かけました。

平成27年4月14日より17日間、福島県は広野町の特別養護老人ホーム「花ぶさ苑」の介護応援に出かけました。広野町は2011年の震災につらなる原発事故によって、広野町の町民の皆さん全員が避難を余儀なくされたといいます。避難は2011年9月30日に解除されたものの、未だ町民の4割の方々だけが、帰宅されているだけで、JR常磐線の広野駅前のスーパーマーケットも閉店したままです。応援をさせていただいた「花ぶさ苑」も原発事故直後より閉鎖を余儀なくされ、その後2014年4月に再開にこぎつけましたが、入所者の方職員の方共に帰ってこられた方は、全員とはいかなかったと聞きました。

今年に入って、広野町では避難解除を目指す自治体のモデルケースという触れ込みで、中高一貫校「ふたば未来学園高校」が開校したり、夏にはイオンの商業施設がオープンする予定です。しかし、私の実感は公式的に発信されるこのようなニュースをとは違った印象でした。それは、原発事故の収束には本当に長い年月が要することに起因するところが大きいと思いました。

いわき市の北隣の広野町でさえ、このような状態ですから、広野町より北、原発事故に近い町は未だに立ち入ることも容易ではなかったり、役場も移転中だったりで、町に帰ることを断念し移住する方も多いようです。私は、施設長さん(写真)のこのような現状を伝えて欲しいとの言葉に答えて、この記事を書いていますが、原発事故のことは風評被害につながりかねないので、慎重に伝えたいと思います。

国道6号線を福島第一原発を目指して

応援者用アパートのあるいわき市から、福島第一原発を目指して国道6号線で北上してみました。いわき市⇒広野町⇒楢葉町⇒富岡町⇒大熊町⇒双葉町⇒浪江町⇒南相馬市とひたすら国道6号線を走りました。朝9時すぎいわき市を出発、国道6号線は放射能除染関係の車が多く双葉町方面に向かう車で込み合っています。国道はいわき市の市街地を抜け「これより津波浸水区間」の看板を過ぎると、海岸縁を走る。海岸から数百メートルの高台までは、津波が来て建物は被害を受けた。しかし、その津波浸水区域にも、新築の建物は建てられていた。海岸線には、写真の「四倉港道の駅」もある。写真は道の駅にあった子供たちの言葉、「ほうしゃのうなくなれ」の文字に心が震えた。

いわき市を出て、30分ほどで応援施設のある広野町で、そこまでは除染などの工事関係者の宿が目立った。施設のところから10分程で樽葉町だ。しかし楢葉町役場はそこにはなく移転中で、楢葉町の道の駅も休業中だ。6号線からみえる農地は、除染が行われたのだろう、除染のため取り除かれた土壌が入っているのだろう、黒い大きな袋が並べられている。聞けばこの地域3ヶ月の滞在が認められているようだが、それではその地での生活も仕事もおぼつかない。それでも、楢葉町で復興商店街を見つけて食事をした。お客さんは除染作業の人がほとんどのようで、営業時間もその人たちが帰路に立ち寄ることが出来る10時から15時になっていた。除染作業は場所によって、一日の作業時間が限られているのだろう、一日に数時間で引き上げているようだった。この辺りからは、二輪車や軽車両の通行は規制されている。

富岡町に入る頃からは、「除染作業中」のノボリが目につくようになった。それに「獣衝突注意」の看板、原発事故以前はのどかな田舎だったことが伺われる。その光景をつんざくように除染のため取り除かれた土壌の黒袋の集積場と、除染作業員さんの集結場が数多く見られる。

脇道や民家もバリケードで封鎖され

原発のある双葉町の隣の大熊町に入ると、国道に交差する道路にはバリケードが設置され、警備員が配置されている道路も多い。それに、写真のように道路沿いの民家や商店の入口にもバリケードが全て設置されている光景は異様だった。無論、民家や商店に人影はない。

そのうちに、福島第二原発の入口を示した交差点に到達した。この辺りに来ると除染の車は、もう作業場に着いたのだろう、車は極端に少なくなった。そして双葉町の中心部に近づくと、国道の両側はバリケードと警備員にかためられ、車を停車すること出来ない雰囲気になった。別に「駐停車禁止」などの看板はないが、まっすぐ進むしかないような、威圧感を感じてしまった。

その先浪江町もバリケードの町で、人影はない。やっと、一般車両が見られるとおもったら、南相馬市との表記があった。しかし、そこは南相馬市小高地区で、汚染が深刻なので人影はない。国は放射線のレベルを国際基準より高く設定し直して、避難準備区域解除をすると言ったらしいが、そんな誤魔化しがきくわけもなく、小高地区の皆さんは国を相手どり訴訟を起こしたという。

名古屋の報道を見ていると汚染地区を走り抜ける国道6号線が開通したから、除染作業は進んでいるように思われるかも知れない。しかし、実際は除染作業の為の道で、一般の通行はごく僅かな印象だった。なにしろ昼の1時にも関わらず、走る車は我が車のみでした。

福島県地方新聞のホームページで福島の現在を知ろう。

福島のラジオでは、毎日の天気予報と同じように、県内各所の放射線量を放送している。私は、除染の見通しが付かないなら、移住をすればいいなどと思ったりもした。しかし、仮に名古屋が汚染された場合、自分自身は住まいも仕事のあてもなく移住ができるだろうかと考えて、唖然とした。介護応援させていただいた「花ぶさ苑」は汚染地区では唯一の特別養護老人ホームだという。入所の方のほとんども原発事故被災者で、福島県社会福祉協議会はその再建に力を入れている。

私も少しばかり応援させてもらったが、職員さんが少しだがお休みが取れたようで、また大きな失敗もなく応援を終えることが出来て、福島の方々には感謝しています。それに、私の留守中を守ってくれた職員の皆と臨時のバイトを引き受けてくれた方などのおかげです。有難うございました。

最後に福島県には福島民報社と言う地方新聞があり、そのホームページには現地ならではの情報が蓄積、更新されているので、皆さんに覗いてもらいたい。

何よりも、原発事故の災害は現在も進行中だと言うことを、皆さんに忘れないで知っていてほしい。

私は、この進行中の災害の中でも、仕事や生活を続けている福島の人たちの事を思い出しながら、毎日の仕事に励みたいと思う。

福島民報ホームページ http://www.minpo.jp/ です。

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